1. デザインって、何?

1-4. Designare

「Design」の語源は、ラテン語の「Designare」である。この言葉の本来の意味は、「行為に先立って、その目的(What)や方法(How)を考える」ということだそうだ。すなわち、デザインとは、「何を、どのようにするかを考える行為」、と理解してよい。

この言葉がイタリアからフランスに渡って、「Dessein」(計画・意図)と「Dessin」(素描・模様)という二つのフランス語に分かれる。それがのちにイギリスに渡ったときには、「Design」(設計・企画)という英語になった。初めのころは、Desseinのみの意味合いだけであったが、16世紀になって、「Dessin」(図案・装飾の意味も加わったという。

日本では明治の初め、「Design」という英語が入ってきたとき、学者たちが腐心して、その和訳に、中国の古典から引いて「意匠」を当てた。意は「心」であり、匠は「技」のことである。「心技一如」、「心をこめて技を使う」という風に、私は理解している。

ところが、明治の中盤、パリで開かれた万国博覧会に出品した日本の磁器や漆の作品が高い評価を受け、欧州からの引き合いが急増した。その結果、評判の良い意匠が真似され、類似品がたくさん出回り大問題となった。困り果てた明治政府は、模倣防止の意匠条例を出すに至たった。

ところが、「意匠」とはどういうものなのかという理解が、一般にはなかなか及ばず、その説明に苦慮したようだ。その結果、意匠とは、「模様や図案」のことだという短絡した説明をして、やっと理解が得られたという。その後、「意匠」の意味が模様や図案という意味合いでの理解が広まり、第2次大戦前まではその意識が根強く続いた。

戦後に至っても、しばらくは「意匠」という言葉も、その意味合いも、そのまま引き継がれていった。’50年代半ば(昭和20年代中盤)、松下幸之助氏が日本で初めて作ったデザインを担当する部署の名も、実は意匠課という名称であった。通商産業省(現経済産業省)の傘下である特許庁でも、現在でも「意匠登録」という言葉が使われている。

戦後10年近くたって、産業復興のためデザインの重要性が叫ばれるなか、これまでの「模様や図案」だけ、というデザインのイメージを払拭するため、「意匠」に代わって、「デザイン」という片仮名表現が使われるようになる。私が入学した1960年(昭和35年)当時の多摩美術大学も、デザインに関する科の名称は,図案科であった。

2006年、北京中央美術学院(中国の芸大)の客員教授として招かれた。北京オリンピックを間近に控えた中国は、まさにデザイン元年という感があり、学生たちは熱心に私の話を聞いてくれた。私が、日本ではかつてデザインのことを「意匠」と呼び、明治のころ、中国の古典からいただいた言葉だというと、彼らは驚いて、中国では、デザインのことを「設計」と呼び、それは日本からの外来語だというから仰天した。

話は少し変わる。私の経験から言って、デザイナーは商品開発の流れの中でさまざまな役割を果たす。中でも、市場調査、企画、デザイン段階では、いろんな部署の人と一緒になってコンセプトをつくる。特に自動車の開発では、大勢の人たちと力を合わせて一つの目標に向って進む。そうしたなかでのデザイナーは、可視化(表現)能力や総合化(調整)能力を武器に、開発プロジェクトのキーマンとなる。

これを家庭の内に置き換えてみよう。一家の主、主人でも主婦でもよい。場合によっては夫婦揃ってでもよい。何か、たとえば家の買い替えとか、室内の改装とか、大きなことを為そうとするとき、家族の心を一つにし、さあどうしようかと、みんなで知恵を絞ることになる。総合化(調整)能力が求められる。

ああしたい、こうしたいと考えを出すとき、口で説明する場合、それがうまく言えないときは、「○○のような」という比喩(メタファ)もあれば、文字で書いたり、ポンチ絵を描いたり、場合しよっては数字で表わしたり、いろんな手段を用いて意思を表わそうとする。可視化(表現)能力である。

Designを辞書で引くと、意図、企画、計画、素描、設計、模様、図案、装飾などと様々な単語が出てくるのは、「何を、どのようにするか」を考えるときに必要な作業であるということだ。プロもアマチュアも同じように考え、同じプロセスを辿るということである。