5. デザインであなたが変わる!?

5-6.ボランティア活動に学ぶ

1980年代に入って、忙しい毎日が続いていた。私は40代半ば。研究所の役員、商品戦略チームリーダー、デザイン室の総括、機種開発責任者など、加えて月に2~3度の海外出張、寝る暇もないというのはこういうことかと思える毎日。 

そんなころふいに、本田宗一郎さんが見えられ、若い役員がお相手することに。「君たち、今、なにやってる?」と聞かれ、それぞれに仕事の内容を説明すると、「仕事のほかに、なんかやっているかい」と。「忙しすぎて…」と口篭もると、「そんなときほど、仕事以外になんかやるんだよ」と見せてくれたご自身の手帳には、ユニークな字で予定がびっしり詰まっていた。「世のため人のためだよ」と言って帰られた。

家に帰ってこのことを家内に話すと、「さすが本田さんね、同感だわ。私だって忙しいけどいろいろやってるわよ。家事一切でしょ、子育てでしょ、それに着付けにお茶にお花に、そうそう最近、友達と留学生のお世話をすることにしたの」と言う。

よく聞いてみると、近くにある国際留学生会館に入館している子たちが、まだ日本語がよく話せず困っているので、慣れるまで力になってあげたいのだと。私はすぐに飛びついた。そのころはまだ、活動がグループの体を為していない状態だったが、それから早や30年余りになる。

ことの始まりは、子供を幼稚園に送り迎えするお母さん仲間が、その界隈で留学生から道を聞かれたり、ものを尋ねられたりしたのがきっかけだという。パソコンもケイタイも、もちろんコンビニもないころの話である。何人かのお母さんたちが話し合って始めることになったようだ。

その後、グループの名は「KIND」と名付けられた。「Komaba International Friendship Club」をもじって名付けたと聞く。なかなかいい名前だと思った。

こうして、ボランティアグループ「KIND」 は1985年、東京都目黒区駒場にある駒場国際交流会館に滞在する世界各国からの留学生たちに、一日も早く日本の生活に慣れてもらえるようにとほんの2~3家族で始められた。

週末になると、留学生がやってきて家内の手料理に舌鼓。娘たちのよき遊び相手にも。そのうちにだんだん慣れてきて、いよいよ私の出番。浅草へ行きたい、東京タワーに登りたい、ますますエスカレートしてホンダの工場見学にと。生活に潤いが出て仕事ぶりも変わってきた。

お母さんたちが中心で活動してきたが、10年ぐらい経ち会員も増えてきて、その分、活動に対する意見も様々になり纏まりがとりにくくなった。そこで私が得意のデザイン力でロゴマークをつくり、大学を卒業してコピーライターになったばかりの長女がキャッチコピーを。「フレンドシップが地球をまわる」と。

活動の中心は、ホームビジットによる留学生と会員家族との交流。日本の一般的な家庭の日常の暮らしぶりや、季節観などを通して日本人の文化や考え方を理解してもらい交流を図る。さらに様々な年間行事、近くの町会との連携で盆踊りやお祭りの神輿かつぎにも参加、地域や会員同士の親睦の機会も増えた。

これらを通じての交流が心の支えになって、日本を第二の故郷と思ってくれている留学生が、これまでに1000人を超える。今では30家族、私たち会員も彼等との交流によりいろいろな国のことを知ることができ、世界は繋がっているという喜びを得ることができた。

20年目を迎えた2004年、ホンダを定年退職し大学で教鞭をとっていた私に、グループの会長をとの要請があり、躊躇はあったものの引き受けることにした。丁度、会館の独立行政法人化や社会の情報化による留学生気質の変化にともない、会則、組織、仕組みなどを改め整えることに。パンフレットやホームページも会員の手づくりで。

我々は留学生から、日本のお父さんお母さんと呼ばれている。彼らの嬉しそうな笑顔、心の交流が支えに。継続の秘訣は活動を楽しむこと。無理をしないで、会員同士の和を大切にし、出来ることをできるときにやる、それが肝要だ。

こうした活動を通して、留学生同士も異国との繋がりが生まれた。これまでの活動が認められ、嬉しいことに国や地域、団体から様々な賞をいただいた。これからもさらに留学生達との交流を深め、彼らが世界へ羽ばたいたとき、様々な国と国の懸け橋になってくれることを願っている。本田さんの一言に感謝しているこのごろである。