6. デザインされた“日本の美”

6-3.不二

「不二」とは、「二つとない」ということを言う。まさに「独自性」のこと。お釈迦様は、生まれてすぐ、「天上天下唯我独尊」と言ったそうだ。天上天下とは、地上も含めた宇宙のことである。「この広い宇宙に在る唯一無二の自分を、大切にしなさい」「この地球上に二人といない自分を、大事にしなくてなんとする」と言っているのだ。

まさに、「個性」に対する心強い応援演説だ。「個性」は大事であるが、人間は一人では生きられない。明治時代に編み出された「人間」という言葉は、個性をもった一人ひとりの「間(あいだ)」が大切、「間」をつくれないのはただの「人」、という意味合いを込めてつくられたと聞く。

要は、個と個、お互いの交流(コミュニケーション)が大切ということだ。いまは、何をおいても「コミュニケーション」の時代だが、「個性」、すなわち自己の確立があってこその「コミュニケーション」なのだ。

自己を確立するには、まず自分が何者であるかについて知らねばならない。夏目漱石は晩年、自分自身を見つめる中で、「父母未生以前本来面目」という言葉に惹かれていたという。自分を知るには両親を、それでも分からなければ祖父母を、さらにもっと以前を、ということであろうか。

遺伝学的には、人のDNAは、父親のものが四分の一、母親のものが四分の一受け継がれて、後の四分の二に当たる分が、自分自身で切り開く世界だとされている。そこで、自分がどういう性格・特徴をもった人間かを知るには、手っ取り早いやり方として、両親を知ること、祖父母を知ることをお勧めする。

次に、自分の好きなものを探し出してみることだ。例えば、色(赤、青、黄)、形(○、△、□)、食べ物(肉、魚、野菜)、音楽(古典、洋楽、邦楽)、景色(山、海、都会、田舎)など、さらに言うば、好きな女優や男優、歌手や奏者など。それらを書き出して眺めると、自分の性格や特徴点が自ずと見えてくる。

そして、それぞれのアイテムで、何故それが好きなのか、先天的であるか、後天的か、とことん確かめてみることをお勧めする。そうした試みの中から、自分にはどうにも変えられないもの、変えていけそうなものも定まってくるはず。自分づくり(デザイン)に役立ててもらいたい。

さて、富士山の話に戻る。「富士は日本一の山」と愛唱されてきた。1911年(明治44年)に刊行された「尋常小学読本唱歌」の「ふじの山」の一節である。何が一番なのか。高さかなのか。戦前のある時期、日本統治時代には、台湾の新高山(玉山・3952m)に負けて2番目であった。それでも日本一と唱われたのは、日本で一番崇拝された山であったからだ、と私は思っている。日本人は富士山を宗教的対象として崇めていたということだろう。

なぜ崇められたのか。日本には古代から、自然崇拝(アニミズム)を軸に生活をしてきた民族である。奈良時代には、修験道の祖・役行者による山と人が一体となることを標榜する厳しい修行を伴った山岳宗教生まれた。が、一般人は、山を神々しいものとして眺め拝むことで心の安らぎを得てきた。

たとえば奈良の三輪山は、500mに満たない円錐形の山で、縄文の時代よりそれ自体が神として在る。富士山との共通点は、独立した山(独立峰)であること、しかも正中線をもつ左右対称の円錐型をなすことか。

人間で言えば、軸(自己)をしっかりと確立した存在感と安心感、というところか。日本人は三輪山や富士山に自分の理想を求めたのではあるまいか。特に富士山の場合、「日本一の山」と言っても誰も異論を唱えない。暗黙の了解であると同時に、日本中の地域がおらが地域が追随し富士の山づくりに走った。「ふじの山」の歌詞にある通りである。

富士山みたいになりたい、富士山のように生きたい、そうした願いが祈りにまでなったようだ。不二から不尽、さらには不死に繋がっていったのは、そうした気持ちの永遠性を願ってのことではあるまいか。

本田宗一郎さんは、「世界一なら日本一だろう」とした人である。が、私が薫陶を受けた30年余りのあいだで感じたところでは、極めて日本的な人だった。それ故に、ホンダという会社も世界企業と言われながら、実に日本的な会社と言える。その日本的個性の「ホンダらしさ」がアイデンティとなって、世界に受け入れられているのだと私は思っている。そんな本田さんのお墓は、富士山の望める高台にある。