8. 素晴らしき哉“デザイン的人生”

8-4.形は心なり

1970年代の終盤、私は40歳、2代目「ホンダシビック」が売り出されて間もないころのこと。研究所社長に呼ばれ、「君はデザイナーをやめろ」と。これで一巻の終わりかと観念した。と言うのも、万全を期して出したもののなぜか盛り上がらず、巷では「ホンダらしくない」、「古くさい」、と言われ気にしているところだった。

「古い」というほど、デザイナーを落ち込ませる言葉はない。つねづね私は、「デザイナー殺すにゃ刃物はいらぬ。古いとひとこと言えばよい」と言ってきたくらいだ。しょげ切っている私に、「そのかわり、世界一のデザインが続々出てくるデザイン室をつくってくれ」と。

正月休みを返上して実行計画書を書き上げ社長のところへ。その冒頭に、「形は心なり」と書いた。人は、心安らかであれば顔つきは穏やかになるし、悩みや怒りを秘めているならば険しい顔つきになる。同様に、人がつくり出すさまざまな「モノ」にも、その人の気持ちが顕著に表われるものだ。

確かに2代目シビックの開発に当たっては、好評だった初代を大いに意識した。自戒で言うのだが、色々な意味で慢心していたのは事実だし、同じようにつくれば再び社会に受け入れられるだろうとも。おそらく、そういった心が製品に表われてしまったのだろう。世間はそれを見逃さなかった。

「形は心なり」は、このときに私が、苦しみや悩みの中から見出した言葉。デザイナーの心は形に表われるものだという意味でもあるし、さらに言うと、デザイナーには自分の心を形に表わせるほどの力量が必要、という気持ちも込めている。

「形」にはつくっている人の「心」が表われるもので、デザイナーは心を鍛えることが大切。そうした心掛けで日々感性を磨き、丁寧な仕事をする努力を積み重ねると自らが信じられるようになる。これすなわち「自信」と言うもの。自ずと、つくるものにも表われてくるに違いないと。

次に「デザイン即仏行なり」と書いた。デザイナーはともすると格好つけ屋で、手前勝手になり勝ち。つい自分の「考え」や「スタイル」の主張を第一に考え、何のために誰のためにデザインをしているのかを忘れてしまう。「世のため人のため」に「一心不乱」にデザインをすることを「心のよりどころ」としたいとした。

このころある本で、鈴木正三(せいさん)という人のことを知る。正三は江戸時代初めの武士で徳川家康の旗本の一人であったが、後に出家し禅宗の僧となって人々に正しい生き方を伝えた。彼の説は、人が修行することによって理想的社会が実現するというもの。

が、僧侶以外の人が自分の仕事を投げ打って修行することはできない。そこでそのかわりに、人それぞれ一心不乱に己の勤めに励めばそれが即ち「仏行」であり、そうすることが誰もが持っている仏心どおりの生き方をすることだと説いた。農民にとっては「農業即仏行」であり、商人にとっては「商売即仏行」となる。

これを読んで、正に目から鱗の落ちる思いがした。「デザイン即仏行」の所以である。ただデザインの現場に、「修行」や「仏行」はあまりにも抽象的で分かりにくく、また今風でない。デザイン室員の理解も得にくいだろうが、思い切ってこれをスローガンの中心に据えた。「仏行」とは、世のため人のために一心不乱にデザインすることと考えれば、必ず良い結果が得られるに相違ないと。

そして最後に、デザインを行う上でもっとも大事なことは、「普遍性」「先進性」「奉仕性」、この3つの絶妙な組み合わせであると書いた。

このように書いた最初の一頁をもとに具体的な実施要領をつくり、計画書は十数頁に及んだ。そして、「実現のために、3年ください」とお願いする。社長は私の顔を見ながら、一頁目を読まれただけで、「分かった。これでやってくれ」と。「ただし、2年経って会社があるかどうか分からん。半分の1年半で」と値切られてしまう。その上に、「次のプレリュード(2代目)で、これを証明してくれ」とのおまけまで付いた。

1年半後に発売された2代目ホンダプレリュードは、日本はもとより世界中でデザインが評価されホンダの救世主となった。さらに1年半後に出した3代目ホンダシビック、イタリアピアモンテで開催された第1回カーデザインアオードで世界一に輝く。計画書を出してから3年経っていた。そして「形は心なり」は私自身の座右の銘として、今も、生きていくための拠所となっている。