令和元年、傘寿を迎えた。よくぞここまで生きてこられたものだと喜んでいる。もちろん、自分一人でやってこられたわけではない。親や先生、家族や仲間、多くの支えがあってここに在る。感謝してやまない。そんな私が、これまでの人生を振り返りながらこのところ思うのは、私自身、いつ“大人”になったのだろうかということ。“いい大人が…“と、平生よく使われるそれである。
「大人」の定義はいろいろだが、日本の法律では20歳としている。世界の大方の国は18歳となっているようだ。近年、日本の選挙権も18歳からとなった。まあ今の時代、常識的に見て、人は18歳から20歳ごろには“大人”になるということだろう。
私の20歳はというと、デザインを学ぶために地方の町から東京の美大に入学した頃である。「一人前」という言葉がある。誰の世話にもならず、自分でいろんなことを判断し、自力で食っていける、ということがその定義だとすれば、私は、中学を出て働き始めた15歳の頃から、そういうことをしていたことになる。が、大人になっていたかと聞かれると、まったく自信はない。
江戸時代後期の豪商・高田屋嘉兵衛が、幼くして奉公に出るとき、「十一にもなって、親の飯を食うておれんわい」と言ったそうだが、いまどき通用する話でもあるまいが、日本にはこういう凄い先人もいたわけだ。
私が大学を出て企業に就職したのが24歳、これで、大人の条件である“自立”ができたのかというと、まわりからはまだ「半人前」としか見られなかった。
三十にして立つ(而立)という孔子の言葉がある。私は30を過ぎてから結婚したが、上司から、“やっと一人前になったな”と言ってもらったのを覚えている。大人を実感したものだ。その頃から、大きな仕事も任されるようになり、少しは自信がもてるようになった。
ふり返ると、15歳くらいから30過ぎまでは、大人になろうと一生懸命もがきあがいていたような気がする。両親を早くに亡くしたこともあって、自分の進路は自分自身で決めざるを得なかった。
中学を卒業して就職しようと決めたとき、デザインを学びたくて大学進学を志したとき、就職先を決めるとき、そして結婚するとき、仕事を進める中でその方向を判断するときなど。うまくいったこともあれば、そうでなかったことも幾度か。それらから学んだことは、ものごとを決めるためには、辛くとも苦しくとも“とことん考え抜く”ということだった。
さて、先に、多くの方の支えがあってこれまで生きてこられたと述べた。20歳前にデザインというものに出会い、それを学ぼうと思い立ち、それを生業に企業内デザイナーとして三十数年を過ごし、のちに大学教育に身を置おいて今日に至っている。多くの人と出会い、多くの経験をし、大人になり、デザインとともに生きた人生と言って過言ではない。
この間、デザインを学び実践しその成果をもとに自らの考えを構築し、これらの経験を通じて、デザインのもつ威力やその使い方を多くの人に伝えてきたつもりである。そうした中で私自身が、“いい大人”になるために、如何にデザインの恩恵受けてきたかを実感しているこの頃である。
これまでにデザインに関する本を何冊か、デザインを学ぶ人やデザインを仕事にしている人たちに向けて書いてきた。これらの中から、私の人生に役立ったことどもを選び出し、また今、新たに思うことを書き添えることで再編し、デザイン的(デザイン・オリエンテッド)な生き方が、いかに生活を心豊かに、楽しいものにするのかを、みなさんにお伝えできればと思い筆を執った。