1. デザインって、何?

1-2. 「これからはデザインや!」

長い間ずっと、私は、「デザインってなんだろう」と考え続けてきた。とは言え、学生時代から数えればデザインに関わって50年余りにもなるので、なんとか自分なりの答えを出してはいるものの、それが他の人たちの同意を得られるかとなると、どうも心もとない。

「デザインとは何だ」と考えている人は大勢いて、様々な視点からの意見がある。だから、これから私が述べるデザインについての話は、そうした様々な考え方の一つに過ぎず、言うならば長年の経験をもとに、私自身が感じたことどもと受け止めてもらえれば有り難い。

「デザイン」について、100人が100通りの考えを言うに違いないし、私の考えもこうした中の一つに過ぎない。だから、「デザインとはこうだ」という断定は危険だと思っている。結局は、デザインに興味を抱く方々それぞれが、自分なりの結論を見出せば良いことで、これからの私の話が、そのような結論を導き出す手助けになればと念じている。

’90年代初めのことになるが、通産省(現・経済産業省)が、「21世紀の日本をデザインする」、というテーマの研究プロジェクトを発足させた。本田技研の取締役であった私も、諮問委員の一人として参画した。委員長を務められたトヨタ自動車の豊田章一郎氏をはじめ、そのとき集まった様々なジャンルの方と、当時の日本が抱えていた問題について議論を交わした。

その中で、今でもよく覚えているのが、「将来の日本の教育」についての議論。科学文明が閉塞状態にあるなか、日本が世界に誇れるのは、長い歴史のなかで培ってきた独自の文化であり、そのレベルをさらに高めていくには教育の問題は避けて通れない、という結論になった。私が大学で教鞭をとることになったのも、このときに、デザインや美術の教育について大いに関心を抱いたことにある。

帰り際に受け取った資料入れの封筒には、大きな字で「輸入を促進しましょう」と書いてあった。ちょうど、アメリカとの貿易摩擦が激しい時期であり、極端な円高と日本の対米輸出過剰が、アメリカの「双子の赤字」の原因だとして反発を買っていたさなかである。そうしたことへの緩和策として、このスローガンが出来たのだろうと理解した。

それよりも少々私が不思議に思ったのは、この諮問委員会のお世話をしてくれていたのが通産省の貿易課であり、さらに、日本のすべてのデザインを所管している官庁が通産省の貿易課であったこと。なぜ貿易課なんだろうか、と考えているうちに、はたと思い当たった。

’50年代(昭和20年代)半ば、松下電器(現パナソニック)の社長で経団連の会長であった松下幸之助さんが、アメリカの視察旅行から帰った羽田空港で記者団に向け開口一番、「これからはデザインや!」と言ったという有名な話がある。

資源に乏しいわが国が、戦後の荒廃から立ち直るには、「加工貿易国」として生きて行かざるを得ない、そのためには、国民の暮らしを豊かにするのはもちろんのこと、輸出する製品のデザインをよくし、高い価格でたくさん売れるようにしなければならない、という意味を込めての「これからはデザインや」であったに違いない。

このことは、当時の日本政府も承知していて、通産省が、「海外市場調査会(現在の日本貿易振興会 JETRO)」という団体を組織し、輸出振興のために、日本のデザインのレベル向上に取り組み始めた。海外の著名なデザイナーを招き、彼らから日本のデザイナーが学び、また、多くのデザイン留学生を海外に送り出した。こうした人達が、後の日本のデザイン界を背負って立ったのである。

何十年か経って、日本製品は品質もデザインもよくなり、いや、よくなりすぎて輸出が増え続け、他国の市場を圧迫していた。だから、輸出を抑え輸入を増やそう、輸出で金儲けすることばかりを考えずに、日本の未来をどうすればよいのかを考えよう、「21世紀の日本をデザインする」という研究プロジェクトの主旨は、概ねこういったことであった。通産省貿易課が「デザイン」を扱っていたのは、こうした事情からだったのだろう。

ともあれ、輸出で得た潤沢な外貨で、日本人の暮らしは目を見張るほど豊かになった。「デザインとは何か」の答えが明確ではないまでも、日本の戦後の復興のために、松下幸之助さんの「これからはデザインや!」は、実に的の得た一声であったことは、誰も疑いを持たないところであろう。