現在、「デザイン」という言葉は、日常の会話の中でごく普通に使われている。今の世の中で、この言葉を聞いたことがないとか、使ったことがないという人はまずいないはず。使い方も様々で、「このデザイン、私には似合わない」とか「このデザイン、好きじゃない」、あるいは、「デザイン、良くないから買わない」などと、プロのデザイナー泣かせの言葉が溢れている。
「Design」という単語を辞書で引くと、「装飾」、「飾り」、「企画」、「計画」など、なるほどと納得できる和訳がならぶ最後の方に、「謀(はかりごと)」というのがある。企てたり計ったりであるから、「はかりごと」には違いないが、この言葉には「陰謀」とか「謀略」とか、どうも芳しくないニュアンスが伴っている。まあ確かに、製品を見栄えよくして何倍もの値段で売ろうとするわけだから、「はかりごと」と言われても仕方がないだろうが。
車は、「鉄の塊」と言われている。が、実際のところ、全部が鉄で出来ている訳ではない。仮に一番小さいクラスの車を例にすると、鉄はせいぜい見積もって70%ぐらいで、他にアルミニウムやガラスやプラスチック、それに布や皮だって使われている。こういった材料を、全て合わせた重さ1トン分の材料費(コスト)を仮に20万円くらいとして、完成した自動車は、およそ、200万円ほどの値段で売られている。
設備費や人件費、加工費や流通費、メーカーやディーラーの利益が上乗せされた値段だから、差額の全てがデザイン料ではない。が、加工や流通といったどのような製品に対しても必要であって、製品ごとに、ほぼ一定の割合で必要なコストとは異なり、デザインは、そのためのコストとは比例せず製品の価値を大きく高める場合がある。だから、価格を高くして利益の部分を増やすことができるわけだ。
自動車に限ったことではないが、メーカーにとっては「はかりごと」が儲けにつながるわけである。が、手品師(マジシャン)がタネという「はかりごと」で観客を騙して喜ばせるのと同様に、デザインもユーザーに喜んでもらい気分よく心豊かになってもらうのだと思えば、「はかりごと」もまんざら悪くない。デザイナーは手品師と同じに、お客さんを騙して喜んでもらう「技」に磨きをかけなければならない、ということだろう。
私なりに「デザイン」を一言でいうなら、ここでは、「生産される製品の価値を高めるような姿かたちを決定すること、あるいは、そのようにして表れた結果」ということになる。大雑把な説明だが、それほど間違ってはいないと思っている。
ここでいう「製品」とは、私の場合は自動車であるが、他にも衣装や装飾品であったり、建物や室内の設えであったり、ポスターやアニメのキャラクターであったりする。世の中のありとあらゆるものに、デザインは関係していると言ってよい。
たとえば、夕食のために肉を焼いたとする。焼き上がった肉を皿に盛ろうとするとき、誰でも無意識のうちに皿の真ん中に置くものである。皿の端では外に落ちるかも知れないし、何よりも「見た目」が悪い。さらには、「見た目」と味のバラエティを考えて野菜を付け合わせる。この場合ほとんどの人は、皿の上での肉や野菜の配置や彩りのバランスなどを、これも無意識にうちに考えるものだ。
つまり、皿の上をきれいに見た目よく飾るのである。これが一番簡単な「デザイン」の説明であろう。皿にきれいに盛りつけることによって、料理の価値は上がることになる。いや、私は盛りつけなんてどうでもいい、うまいものをたくさん食べられればいいんだ、などと言うがさつな人がたまにはいるとしても、大多数の人は、きれいに盛りつけられた料理を好むものだ。
料理は、目で食べるとも言われる。目で見て美味しそうだと感じ、どのように食べようかと思いを巡らす。洋の東西を問わず、食事には作法がある。作法とは、こうしたら美味しく食べられる、こうしたら美しく見える、こうしたら無駄がない、などと先人が考え受け継がれてきたものだ。
これらを身につけるには、日頃からの修練がいるが、食事は日常茶飯事のこと、日々の心掛けが大事。料理を用意する人、食べる人、それら含めてのトータルデザインということになろう。一日3回の食事を、美しく、気持ちよく、美味しくいただくところから、デザイン意識を高めていければと思う。マジシャンになったつもりで……