「君たち、腹がへって死にそうだと言っている人に、肉を買って来るから、ちょっと待っていてくれって、言うのか!」と、本田さんに一喝された。日本の経済成長は留まるところを知らず、誰もが豊かさを享受し、車に対する人々の嗜好も、より上級に、よりラグジュアリーにと向かっていた頃のことである。
ホンダは、NSX、4代目プレリュード、ビートなどのスポーツカー路線で、より強力な「ホンダらしさ」を構築しようとしていた。が、他社はこのラグジュアリー指向の動きをいち早くとらえ、上級小型車(3ナンバー)を続々投入し、絶好調。こうした動きに手をこまねき、出遅れてしまったことへの指摘だった。
「やれ技術だ、性能だのと、頭でっかちになって、今この瞬間、お客さんが本当に欲しいと思っているものを素直に提供できていないじゃないか。先のすき焼きより、今のおにぎりだ」と言わたようなものだった。きみたちはどこを見ているんだ、世の中のニーズに敏感でないデザイナーは失格だ、と言われているようで、まるで頭から冷水を浴びせられたような衝撃だった。
さて、その「おにぎり」だが、以来、私の心に棘のように刺さって離れなかった。そして、毎日のように「おにぎり」について考えているうちに、はたっと思い当たる。デザインとは、「お母さんのおにぎり」のようなものだと思えるようになった。
母親が子供のためにおにぎりをつくるとき、大抵の場合、材料はあり合わせである。でも、子供の好みは熟知しているし、手の大きさ、口の大きさ、食べ方まで全て知り尽くしている。そして、子供の食べている状況や喜ぶ顔を思い浮かべながら、堅過ぎず柔らか過ぎず、「心を込めて」にぎるのである。その形は三角型だったり、丸型だったり、俵型だったりと。
だから子供は、母親のつくるものに絶対の信頼をおいているのだ。そしてそのおにぎりが、毎日のお弁当なのか遠足や運動会のものなのか、何時何処で食べるのかによって、母親はおにぎりの種類とつくり方を変える。まさしくこれは「マーケット・イン」そのものと言ってよい。この「マーケット・イン」、どういうものかと言うと、市場のニーズをよく見聞きしよく知ったうえで、その情報をもとに受け手(使い手)のために商品を開発するという手法である。
が、それだけではない。子供のことを全て知り尽くしているお母さんは、日夜創意工夫をかさね、子供を驚かせてやろうとひそかに考えている。ある日の遠足で子供がおにぎりをガブリとやると、初めての味に出会った。なんと中味の具はウインナーソーセージ。子供はさっそく友達に自慢する。これぞまさしく、「プロダクト・アウト」なのだ。この「プロダクト・アウト」、「マーケット・イン」と対極にあって、これまでの経験をもとにユーザーニーズは斯く斯く、したがって、この商品はユーザーが喜ぶに違いないと、出し手(つくり手)の強い意志で商品を開発する手法である。
この「マーケット・イン」と「プロダクト・アウト」は、お母さんの子供を想う心によって絶妙に組み合わされ、大いに威力を発揮する。お母さんは、素晴らしいデザイナーと言える。
今は、どのような現場でも、「創造力を高めよ」と言われている。が、どうすれば高められるかは教えてくれない。子供のためにおにぎりをつくるお母さんはどうだろうか。素晴らしい創造力である。その秘密はなんだろう。私は「想う」ことにあると思っている。
かくありたいと強く想い、いつも5感を研ぎ澄まして事に当たるということ。私は、「想なくして創なし」と言ってきた。このように考えると、これまでつくった「初代シビック」「2代目プレリュード」「初代オデッセイ」は、「お母さんのおにぎり」だったと言えるかも。
「想う」ということで、大学の授業で学生から質問を受けたことがある。「先生、ああしたい、こうしたいと思えない時はどうすればよいですか」と。私は咄嗟のこと答えに窮したが、しばらくしてこのような話をした。 「例えば、何かを食べたいなと思って冷蔵庫の前に立ったとき、扉を開ける前に、食べたいものの姿を想像してみる。そして“何々が欲しい”とおまじないを唱えた上で扉を開ける。その何々があれば想いか通じたことになるし、もし無い場合は、簡単に別のものに手を出さず、どうしたら欲しいものが手に入るかをとことん考えてみる。これが創造力というものだ」と。