日常、買い物や友人との会話の中で、デザインを評価するのによく使われる言葉として、「格好いい」や「貴方らしい」がある。当然、悪いときは「カッコわるい」「らしくない」になる。デザインはどうやら、持ち主や使い手との関わりが大きいということのようだ。
「格好よさ」とか「らしさ」は、「形態の美しさ」という意味ばかりではなく、「人によく思われる」「よく見られる」という場合の、欠くことのできない要素である。つまり、人(お客さん)の心を動かすには、「格好よさ」や「らしさ」が欠かせないということである。が、良いデザインを追求するということは、「美しさ」を追求することと同じではない。
「モノ」の「格好よさ」「らしさ」に対して、人々が抱く「想い」とシンクロナイズした「想い」をデザイナーも同じように抱き、それを形に表現しなければならない。「ものつくり」に際して、「格好よさ」「らしさ」を実現するには、こうしたデザイナーの「想い」がとりわけ重要なものとなる。
外見を評価するのに、昔から、「見てくれが良い」とか「見え方が良い」というような言われ方をする。「見てくれ」と「見え方」、どう違うのだろうか。私なりに考えるに、「見てくれ」は、自分からこのように「見てくれ」と主張する行為であるのに対して、「見え方が良い」は、先ほどの「らしい」「らしくない」と同じで、自分以外の人が自分に対して言ってくれる言葉である。
1972年に発売した初代シビックの大ヒット、その後「アコードシリーズ」をラインアップに加え、ホンダは、自動車メーカーそれもファミリーカーのメーカーとしての社会的認知を確実なものにし始めていた。
が、ホンダは、2輪専業だった時代からレース活動が活発であったこと、また、4輪車への参入が小型スポーツカーであったこと、それにF-1参戦宣言の次の年‘64年にはメキシコグランプリで優勝するなど、スポーツイメージの強い企業として世間から見られているのも事実であった。そんな中で’70年代の後半、「初代プレリュード」が発売された。
ところがこの車は、排ガス規制対応や台数拡大志向など企業の都合が優先され、一般のユーザーの気持ちとかけはなれた「ひとりよがり」なものになっていた。開発者としては頑張ったつもりでいたが、「ホンダらしくない」との酷評を受ける結果となってしまった。「ホンダらしくない」との声の裏には、大手の「T社みたい」になってきた、という痛烈な批判が込められていたのだ。
ホンダを贔屓にしてくれていた人たちを、裏切ることになってしまった。まさしく、出し手が「見てくれ」と言ってはみたものの、受け手からは「そうは見えない」と言われてしまったわけだ。
こうしたことへの反省もあって、次の「2代目プレリュード」の開発にあたっては、初代の問題点を徹底的に洗い出すと共に、このようなカテゴリーの車にユーザーがホンダに期待するものは何かを、徹底的に研究する事から始めた。ホンダが好きだという人、初代を買ってくれた人、この手の車が欲しいと思っている人、多くの人から直接に話も聞いた。
そして分ったことは、当たり前と言えば当たり前なのだが、ユーザーは欲張りで「スポーツカーの格好良さ」と「乗用車の実用性」を「手頃な値段」で手に入れたいということだった。「ホンダらしくない」と酷評された我々にとってまずやるべき事は、もう一度しっかりと「ホンダらしい」スポーティイメージを構築する事にあった。
この時期から少し前のことになるが、初代シビックの成功の後、私が次の機種開発で悩んでいるとき聞いた、ノーベル賞物理学者・江崎玲於奈氏の講演がある。その中で大変勉強になった言葉を思い出す。氏がアメリカ留学中、研究に行き詰って苦しんでいるとき、師から頂いた言葉だそうだ。私もこの言葉に出会ってから毎日、今も、日に一度はお唱えする大切な言葉でもある。
What should I do with my life?
What am I best at?
人生何を為すべきか、(それを実現させるために)自分の得意はなにか、を日々自分の心に問い考え続けることだと、私なりに解釈している。自分の人生をザインするための基本的な要件とも言えよう。人生の目標を定め、自分が得意をとする能力でそれに立ち向かって行けば、自ずと「自分らしさ」が表われてくるのではないか、と。