1990年代初頭のバブル経済崩壊以降、失われた10年とも20年とも評論家は言う。私は、日本の本来あるべき姿を考える貴重な期間であったと位置付けている。翻ってみて太平洋戦争の敗北は、明治維新に続き、日本の西洋化に大きな役割を果たした。科学技術化と言ってもよい。
科学と言えば、文明とくっついて「科学文明」、明治の文明開化は西洋から入ってきた科学によって形成された文明と言えよう。芸術は文化と合せて「芸術文化」、平安文化、室町文化、元禄文化などとなる。こうしてみると、科学は文明を生み出し、芸術は文化を育くむということになる。では、デザインは文明なのか文化なのだろうか、
「文化」は英語で言うと「Culture」で、カルチャーセンターの「カルチャー」だ。この語源は、意外にも「Cultivate」で、耕すとか農業をするという意味。良い土や水を見つけ、耕し種をまき、芽が出て茎や葉が育ち、花が咲き実が成り、そしてまた種に、というように時間とともに「変化」する。
良い土や水を如何にして見つけるか、天候を読み如何に上手に育てるか、という個人の感度や技量が鍵を握る。当然、各人の能力と個性で、「違いや差」が出てしまう。ことごと左様に、「こと(野良仕事)」を為すのは難しく厳しい。
「文明」は、「Civilization」である。語源である市民(Civil)が、町(City)で豊かに暮らせるようにと、為政者は科学や技術を駆使し、できるだけ市民全体が「平等に均質に」、と願って努力する。水道やガスが良い例だ。当然、年々、値段が安くなるとか、水質が良くなるなどの「進歩」が期待される。だから、ほとんどの「モノ」には値段(お金)が付きまとう。
このように考えると「文化」は、「変化」し個性的で数値に表わしにくい「こと」という風に言える。これに対し「文明」は、平等を願い「進歩」を期待し、できるだけ「モノ」を、誰にでも分かる数値で表わそうとする。
文明と文化、どちらが良いというのではない。どちらも大事である。が、この半世紀、科学文明に偏り過ぎたことは否めない。この反省にこそ、21世紀の「モノつくり」の鍵があると私は考えている。「進化」という言葉が好きだ。進歩と変化が組み合わさってできた言葉だと思うからだ。むしろ、互いが鬩ぎあって、まぜこぜになっている姿がよい。変わりざま、それが今だ。
産業革命の前と後では、「モノづくり」の方法とその結果が全く異なる。産業革命以前では、「モノ」は職人が手づくりで1個、あるいは数個をつくっていた。以降では、デザイナーやエンジニアがつくった原型や図面をもとに、それらのコピーがたくさんつくられる。現代の大量生産システムは、大量コピーシステムと言ってよい。
産業革命は18世紀末のことだが、大量コピーはそれより数百年前の15世紀の半ば、グーテンベルグが発明した活版印刷術によって可能になった。これが機械による大量生産の原点である。
これ以前の本(「聖書」が多かった)は、一冊ずつ手書きされるか、1頁ずつ彫られた版木による印刷であった。どちらも、当然のことながら沢山はつくれない。だから書物は高価で一般庶民には全く縁のないものであった。
近年、通信やコンピュータの発達により「情報革命」という言葉をしばしば耳にするが、その源はこんなところにある。こうして見るとデザインは、科学技術発展の立役者のようでもある。
「文明から文化へ」「モノからことへ」と言われる今日、企業にとって、「モノつくり」に必要な経営資源(ヒト・モノ・カネ)に加え、「情報的経営資源」を自ら創出しそれを用いることで、言わば、「ことつくり」を行なっていけるような「場の演出力」が必要となった。
そこで、「ことつくり」のための情報を創出する一つの方法として、注目を集めるものがデザインである。そういう意味でデザインには、これまでの「科学」と「芸術」という視点に加え、「経済」と「情報」という2つの新たな軸が求められるようになってきた。
このように「デザイン」は、現在社会の活動に重要な役割を担う科学、芸術、経済、情報、の4つの座標軸を統合的するところに位置づくもので、言わば、4つの団子を串刺しする串のような役割、あるいは、芸術(文化)と科学(文明)をひっつける蕎麦の「つなぎ」のようなもの。さしずめ「魅力価値創造学」である、とでも言おうか。