5. デザインであなたが変わる!?

5-5.ムードをつくる

新しい「考え方」、「やり方」が社会に広まり、それらを一時的に受け入れる人々の数が一定の数になった状態、これが「流行」の定義である。

「流行」とは不思議な現象で、人々はこれを取り入れて周りに同調したいと思うと同時に、矛盾するようだがこれを受け入れることによって、そうではない他の人と違う自分を実現したいとも思うものだ。他人に先駆けて流行を取り入れようとする気持ち、流行に遅れまいとする気持ち、これらはそうした現れなので、多くの場合、こうした気持ちが優先され、実際の流行はどのようなものであるかは問題とされない場合も多い。

 「流行」は欧米で、モード、ファッション、ブームなど、いろいろな言い方がされている。有名な「二条河原落書」が、「此頃都ニハヤルモノ」という書き出しであったように、日本にも昔から、「世間には流行(はやり)という現象がある」、という人々の認識が存在した。

「流行」はときとともに変化する。人間の日常のほんの少し異なった考えや行動が、何かのきっかけで多くの人々に広まっていく。こうした社会現象をわれわれは「流行」と呼んでいるのだが、「何かのきっかけ」が、果たしてどのようなものであるかはよく分かっていない。

英語で「ファッション」、フランス語で「モード」、ともに「流行」という意味である。ただし、この言葉は単に、「流行っている」というだけの意味を表しているのではない。特に日本では、「流行」、「ファッション」、「モード」のそれぞれが使われ、ともに「流行(はやり)」という意味を表している。

「流行」は社会全体へあまねく広まった、ただし一過性の現象、「ファッション」は、ある特定の志向をもつ人々の間で受け入れられる現象、「モード」は本来の意味である「様式」として社会に普遍化される可能性を含んだ現象、と私は考えている。

以前、ムードのあるものはファッションをつくる、ファッションのあるものはスタイルをつくる、スタイルのあるものはモードをつくる、そのようなことを何かの本で読んだことがある。

確かに、「何かを感じるもの(ムード)は流行(ファッション)り、誰もが真似をして一世を風靡(スタイル)し、それが定着(モード)したところで次の新しいものが出てくる」、そんなサイクルがあるようだ。デザイナーは目に見えるものばかりに気を取られないで、見えないものをデザインすることが大事になるのかもしれない。

たとえば、芸能界の新人をわれわれ素人が見ても、売れそうなのとそうでないのは大体わかる。決して、姿・形だけではない「何か」を感じてのことだ。さしずめそれが、「雰囲気」とか「オーラ」というところなのだろうが、これがどうしたらできるのか、つくれるのかを探れば、売れる商品をつくるためのヒントが掴めるのかも知れない。

成功した商品の要因を考えてみると、ある共通項に気付く。それは、それらが「流行」そのものをつくりだしたというよりも、流行のきっかけをつくりだしたのではなかろうかと思われる。具体的に「きっかけとは、これだ」とはっきりわかるなら、それを起こす商品をつくれば大儲けなのだが、これが大変に難しい。

何かを感じるもの(ムード)をつくるには、心が多いに関わるということだ。「心身一如」という言葉がある。「身体」は見えるが「心」は見えない。心と身体を一つにするには、まず、見えない「心」をデザインするとのことになるはずだ。

消費者は移り気なものであり、こうした人達が求めるものがどのようなものであるかを個々に探ろうとしてもまず分からない。仮に分かったとしてもその嗜好がどのくらいの期間続くのであるかも分からない。「これだ」という商品が世の中に出た時点で、大衆の好みがすっかり変わってしまっていた、などということは日常茶飯事である。

人々が他人に同調したい欲求、さらには、これによって他人との違いを強調したいという欲求、それぞれが相反する欲求であるから、これらを含む「流行」がいかに不思議な現象であるかが分かる。

昔、松尾芭蕉は「不易流行」と説いた。私としては、「流行」ではなく「不易」であってほしいのだが、現代のデザインの対象とするほとんどが消費されるべき商品である以上、「流行」と「デザイン」とは切り離せない関係にある。そうした視点から、われわれのデザインは「流行のきっかけをつくるモノつくり」を心掛けたいものである。