2. デザインにとって大切なものは?

2-3.都会的と田舎者

私は今、東京は渋谷、明治神宮や代々木公園の近くに住んでいる。大学に通った4年間とホンダでの36年間、それに多摩美術大学で教鞭をとった10年、そしてその後の数年を合わせて、50年あまりを東京で暮らしてきた。20歳代、それも高度成長の始まりであった1960年代に東京に住み始めたことは、その後の、私が関わったデザインという仕事に、かなり大きな影響を与えることになった。

東京は、空気は悪いし物価は高いし、人口は過密だしゆったりと落ち着いた生活を送るのに適した場所ではない。それでも私は、東京に住むことに強く拘ってきた。今まで、人生のおよそ四分の三を東京で過ごしたことになる、と言っても私は和歌山の生まれで、少しはずれてはいるが関西人である。だから、子供のころに憧れた都会はというと大阪であり京都であった。

日本の歴史における京都の文化的役割……なんてことは物心がつくまで分からなかったが、関西圏の地方都市で生まれ育ったせいで、小学校の修学旅行も京都だったし、何となく社会の中心が京都や大阪なのだと感じていた。が、その私がデザインを志し、京都や大阪を素通りし東京に出て、そこでずっと暮らすことになってしまったというわけだ。

デザイン、特に私がやってきた「製品デザイン(プロダクトデザイン)」は、人間の日々の暮らしに役立つ道具が対象となる。私の専門は自動車であったのだが、これだって家具や食器、衣料品や文房具といった道具の一種に違いない。人の暮らしに役立つ道具を考えるには、「人の暮らし」を知らねばならない。

だからと言って、まさか他人の生活を覗き見するわけにはいかないから、代わりに多くの人が暮らす環境に身を置いて、そこからの刺激を受け続けることにした、ということになる。それならば、横浜でも札幌でも大した変わりがなさそうなのだが、やはり当時も今も東京は、情報の量や質に於いて、世界にもまれな特別の街だと思っている。

今の世の中は、ラジオ・テレビ、新聞・雑誌、あるいはインターネットと、色々なメディアが発達しているから、家に居ながらにして世界中の様々な情報に接することができる。実際、離れ小島や山のなかに住んで、そこでクリエイティブな活動をしている人が大勢いる。世界的に著名なデザイナーのなかにもこういう人は多い。が、私自身、自分のデザインの出発点、人々の日常の暮らしにあると思っているからこそ、その同じ場所で、目と耳と肌で感じることのできる生の情報を大切に、を信条としてきた。

メディアを通しての情報はよく整理されているし、簡単にたくさん集められるから大変に便利である。これを利用しない手はない。しかしこれらの情報は、自分以外の誰かが集めてまとめたものであり、その人なりの何らかの考えに基づくものであることを知っていなければならない。一方、5感をとぎすまして自ら得た情報は、自分だけのものであるから格別なものと言える。

が、こちらについての注意は、得られた情報に対して自分勝手な都合のよい解釈をしないこと、つまり客観性を失わないことである。昔から、「百聞は一見にしかず」と言われているが、これは、常に創造的であろうとするデザイナーにとって重要なことだと思っている。

よく「田舎者」「都会的」と対象的に言われるが、田舎者とは、考え方や行動が、野暮で垢抜けしない人のことをいう。田舎に住んでいる人のことをいうのではない。洗練されて、垢抜けした人が都会的というが、大都会に居ると、放っておいても綺麗になる。それは芋こぎ(芋洗い)と同じで、お互いにこすり合い、洗われて綺麗になっていくからだ。洗うとどうなるかというと、身体が綺麗に、美しくなる。

身体を美しくすることを「躾」という。これは何の為にするかというと、人様に迷惑を掛けないためだと私は考えている。迷惑を掛けないために、人に気を配る。そうすることによって、人の気持ちが分るようになり、更に、人の気持ちをよくさせることに繋がるわけだ。同様に、垢抜けするということは、肌が綺麗になることで、世の中の動きや、時代の流れに敏感になる。 また、周りの物事についても感動できる心を育てるのだ。まさに、「情報」は身体を美しくする洗剤だと言える。私が東京に暮らすことに拘ったのは、こういう理由からだし、それよりも、まあ本当のところは、ここが何よりも刺激的で面白い街であったからだ。